第1045回 「吉良の男前 尾崎 士郎」

開催日時 平成25年7月19日(金)12:30~13:30
開催場所 西尾信用金庫中央支店2階
合唱曲 それでこそロータリー
卓話者尾崎士郎記念館 館長 鈴木一雄氏
お客様尾崎士郎没50周年記念事業実行委員会 委員長 颯田 洪氏
司会進行太高純治君

会長挨拶

昨夜はちょっと風があって熟睡出来たかなという感じです。今週の頭にうちのクラブの大高敏睦君の黄綬褒章受賞祝賀会に出席して参りました。改めまして大高君おめでとうございました。もの凄く盛大な祝賀会でして受賞もさることながら業界を始め、ロータリーはもちろん政財界、顔の広さに感心致しまして皆さんお祝いに駆けつけていらっしゃいました。業界に置いてもうちのクラブにおいても重要な人物でありますので、今から体調管理にはお気をつけ頂いてご活躍頂ける事を期待しております。また辻村和美君の追悼集、今私がここに立っているのも和美君が引導を渡しに来たのですが、その晴れ姿を見る事なく遠くへ行ってしまわれまして誠に残念ですが、これを皆さんお読みになって和美君を偲んで頂けたらと思います。今日は色々と詰まっておりますので挨拶はこれ位にさせて頂きます。

出席報告
会員総数 免除・休会・病欠 ・海外 計算会員数 出席数 MU数 欠席数 暫定出席率 修正出席率
58 2 56 45 11 11 80.36 100.00

スマイル委員会報告

【鈴木 正司 会長】鈴木先生 今日のお話楽しみにしています。卒業した高校の校歌が尾崎士郎でした。颯田さんお元気そうで何よりです。
【長谷 収一 幹事】鈴木一雄様ようこそKIRARAへ。今日は宜しくお願いします。
【大高 敏睦君】皆様のお陰をもちまして7月16日の祝賀会が無事終えることが出来ました。改めて会員の友情に深く感謝申し上げます。今後とも宜しくお願いいたします。お礼をこめてスマイルします。
【山本 俊明君】先日の西尾祇園祭り協賛会のパンフレットに大名行列の写真と中日新聞の西三河版にも顔写真が載って親戚やら友達から連絡がありダブルの掲載にはビックリ・ビックリしました。キララの奉仕活動の一環としてスマイルいたします。来年もガンバロー
【山本俊明・三浦隆司君】ようやく辻村和美君の追悼集が出来上がりました。皆様ご協力ありがとうございました。ゆっくり和美君を偲びたいと思います。
【太田 五九郎君】先週はお休みして九州の鹿児島で父の13回忌をしてきました。ほんの少しですが食べて下さい。昨日第1回ゴルフ例会をザ・トラディションで行い初優勝しました。
【二宮 誠二君】鈴木一雄先生本日の卓話よろしくお願いします。来週の例会は早朝例会ですのでお間違えの無いよう。
【祝賀会発起人一同】大高敏睦君の祝賀会に大勢出席していただき盛大に行うことが出来ました。ありがとうございます。本人も大変喜んでいます。
【杉田 芳男君】大高さんおめでとう御座いましたt当日純治君、長谷君、善和君お世話になりました。お陰で面目が立ちました。
【堀田 義之君】一句 「風呂上り 冷えた濃茶に いやされて」杉田さんありがとう。うまかったです。

卓話

吉良の男前 尾崎 士郎  (尾崎士郎記念館 館長 鈴木一雄氏)


尾崎士郎没50周年記念事業についてのお願いをする実行委員長 颯田洪氏

講師の紹介は二宮プログラム委員長

卓話は尾崎士郎記念館長 鈴木一雄氏

幹事報告は長谷幹事

出席報告は高須出席委員長

スマイル発表は新海スマイルBOX委員長
尾﨑士郎という人は引き出しが非常に多い人でず。皆さん尾﨑士郎は人生劇場を書いた人だという事はご存知かと思います。その他に人間性として我々が学ぶべき事がとても沢山あります。尾﨑士郎は西尾高校の校歌の作詞者です。「ああ悠久の天地かな…」士郎さんが苦労の末に作曲された物です。当時は俺は作詞家じゃないから書かないよと言われたそうですが、しかし地元の事だからという事で書かれたそうです。
 尾﨑士郎の人となりですが、「多くの人を愛し、多くの人に愛され、ずばり、真情を吐露する男 それが尾﨑士郎である」というこの言葉は武者小路実篤が尾﨑士郎が亡くなった3ヶ月後に遺族にプレゼントした扁額です。この扁額は尾﨑士郎記念館に常設をしておりますので、皆さん来られる時は武者小路実篤独特の字を見て頂きたいと思います。また文化功労者として尾﨑士郎は顕彰されております。文化功労者として西尾市では彼だけです。
 彼の出生から文士を目指す所迄のお話を致します。明治31年(1898年)吉良町横須賀村に生まれました。、地元の横須賀小学校を卒業した後、岡崎の愛知県立第二中学校(現岡崎高校)に進学しました。士郎の実家は、父より郵便局長を継いだ長兄の重郎が公金横領の末、ピストル自殺を図ったことにより破産をし、家族は自宅を手放して東京に移ることになります。故郷の生家を失った士郎は、昭和22年に帰郷を果たすまで、実に30年近く故郷を訪ねることができない運命を辿ります。彼の代表作「人生劇場」は昭和8年、東京の都
新聞で連載をスタートします。その挿絵を描いた方が後に文化勲章を授章される中川一政です。その中川一政さんの絵が9月7日から岩瀬文庫で原画が展示されます。是非これを見て頂きたいと思います。
都新聞は2流の新聞ですのでほとんど見向きもされませんでしたが、後のノーベル賞作家の川端康成によって大きく注目をされる様になります。川端康成はこの小説を読んであまりにも眠れなくなったと読売新聞の文藝欄で人生劇場を称賛します。それがもとで人生劇場に火がつきます。後に26年間に渡って書き続けられる大長編小説となります。人生劇場は立派に生き抜く事を主題として書かれておりますので読む機会がございましたら読んで頂きたいと思います。西尾の図書館よりも吉良の図書館へ行った方が尾﨑士郎の書籍は沢山ありますので是非読んで下さい。記念館の士郎さんのその後を見るともの凄い量の本を士郎が書いたという事が一目瞭然で解りますので是非お訪ねください。入館料は300円です。 
 士郎はとてもお酒好きで有名で、広島の「賀茂鶴」を好んで飲んでおりました。また彼は26歳の時に宇野千代と出会います。宇野千代は当時超一流の女流作家で、尾﨑士郎は売れない作家でした。一目会った宇野千代が一目ぼれし、その日の夜から同棲を始めます。その後正式に結婚をしていきますが結婚生活も5年ほどしか続きませんでした。戸籍上は7年間でした。次の奥さんが清子さんです。清子さんは18歳、士郎は31歳で一緒になりました。おじさんが少女を連れてそこら中を歩いていた訳です。殆ど家はありませんでした。一番酷い時は海水浴場の着替え室の様な所で生活もしました。よくぞ尾﨑士郎さんについていてくれたものだと思います。この人のお陰で尾﨑士郎の家は出来たし、立派な色々な物も記念品として頂いております。尾﨑士郎を最も愛して最も支えた方が尾﨑清子という方です。
 昭和39年2月19日の春の雪の日に尾﨑士郎吉良の書斎で亡くなります。最後が近づいていても周りに配慮をする人だったので家族に「酒は出ているか、みんなに鰻丼でもとってやれ」と言います。士郎は娘の一枝さんに「桜井駅の別れ」を唄ってもらう様に言い、皆がむせびながら唄う中で息を引き取りました。翌日の葬式には3,000人の参列者が雪の中をお参りに来たそうで、非常に多くの方から愛されておりました。尾﨑士郎の生前の遺書として吉良町の中で残っている言葉が「しかし、そこでくじけるな。くじけたら最後だ。堂々とゆけ。」と石碑で残っています。士郎の母校の横須賀小学校では毎朝通学団で通学するとこの碑に向って唱え教室へ向って行きます。今も先人の心が伝わっているという事でありがたく思っています。来年2月19日で没50年になります。色々な事業を展開しておりますので、是非知人等にお話しして頂ければと思います。また士郎は非常に良い言葉をとても多く残しておりますので、またお使いになって頂ければと思います。

その他

俳句同好会からのお知らせは堀田義之君 次回の早朝例会の案内は二宮プログラム委員長 お城研究会のお知らせは細川和義君 10月の松本城見学のお知らせ1泊で蕎麦同好会と共同での企画
辻村親睦活動委員長は10月の移動例会 劇団四季の「サウンドオブミュージック」への参加を呼びかける。 8月15日の米津花火で炉端会及び親睦主催の飲み会のお知らせ野口君は写真がありません。ゴルフ部のお知らせは太田君 司会は太高純治君 居るだけの石川SAA

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