第1050回 「四極(しはと)の里ロマン」

開催日時 平成25年8月30日(金)12:30~13:30
開催場所 西尾信用金庫中央支店2階
合唱曲 手に手つないで
卓話者元西尾史誌編纂委員 大橋正明氏
ビジター西尾一色RC 笠井保志君
お客様
司会進行榊原 章君

会長挨拶

今週頭から多少涼しくなってきたかなと思っていたのですが、今日は結構蒸し暑くて体調管理に十分お気を付けて頂きたいと思います。
 今、お食事を頂いてからコーヒーを飲んだりしましたが、先日新聞等で取り上げられていましたが、コーヒーは健康に良いか、悪いかという事ですが、1日に4杯以上コーヒーを飲むと死亡率が高くなるというアメリカの研究発表があったそうです。数年前に日本の厚労省が研究した結果ですと肝臓癌の発症率はコーヒーを飲んだ人の方が減るという事が新聞紙上を賑わせていたりしました。僕がお酒を飲まないので飲み物と言えばあいやのお茶かコーヒーなんです。普段から好き嫌いも多いので好んで飲んでいる物が良い悪いと言われると多少気になります。
 朝日の天声人語に面白い記事が載っておりまして、ある王様が囚人二人を捕まえてきて1人にはコーヒーばかりを飲ませる。もう1人には紅茶を飲ませ、どちらが人間にとって良いか悪いかを比較したそうですが、その囚人二人はピンピンしていて結局最初に死んだのは王様だったという話が載っていました。また珈琲をはじめ、当て字で可否、健康に可か否かという話もある様にコーヒーにまつわる話は結構面白いです。音楽の中にもコーヒーはよく登場します。日本の音楽で夜明けのコーヒーなんていうの素敵なフレーズも出てきます。きっと男女が一晩過ごして朝一緒に飲むコーヒーの事を表現していると思います。近年そういうときめきを経験していませんのでロータリーにいる間に経験してみたいと思います。

出席報告
会員総数 免除・休会・病欠 ・海外 計算会員数 出席数 MU数 欠席数 暫定出席率 修正出席率
58 4 54 38 14 16 70.37 96.30

スマイル委員会報告

【鈴木 正司 会長】大橋様 今日のお話楽しみにしています。
もう使命委員会設置の時期が来たようです。委員就任に関しご協力宜しくお願いします。
【長谷 収一幹事】大橋正明様ようこそKIRARAへおこしいただきありがとうございます。歴史のお話宜しくお願いします。
【二宮 誠二君】大橋正明様 本日は奈良時代の地元のお話楽しみにしています。
【高須 良一君】8月14日は妻の誕生日ですが、その日はお盆で親戚子供孫が集まり彼女は大忙しです。その中綺麗なバラの花束が届きました。孫がハッピバースデーを歌いみんなで祝ってやることができました。ありがとうございました・

卓話

四極(しはと)の里ロマン(元西尾史誌編纂委員 大橋正明氏)


スピーカーの紹介は二宮誠二プログラム委員長

卓話は元西尾史誌編纂委員の大橋正明氏

小津亮良が阿漕浦から漁にでて浜荻が咲く場所にに着きそこを荻原と呼ぶようになったとか。

幹事報告は長谷収一幹事

出席報告は大須賀慶一出席副委員長

スマイル発表は杉浦加代さん 少し慣れてきたかな。
吉良町荻原に羽利神社という神社があります。今はありませんが名鉄荻原駅のすぐ近くに海蔵寺というお寺があります。そのすぐ北側にあります。その羽利神社の宮司を努めていらっしゃる黒野さんがおみえになるのですが、その黒野家に伝わる家譜には地名の由来や、羽利神社の名前の由来、黒野という名字の由来が書いてあります。しかし、こういうお話は大体が作り話が多いものです。刈谷という地名が昔にはなかったという事、持統上皇がこんな荒ぶる土地にやって来る事自体が疑問です。天皇は伊勢の国迄はいらっしゃる事はありますが尾張を越して三河の国迄来る事はないと信じられていました。しかし続日本紀という歴史本があります。その中に702年10月10日に三河の国に行ったと書いてあります。1ヶ月位三河の国にいて11月13日に尾張の国へ行き、美濃の国、伊勢の国へ行き大和へ戻るという大旅行をやっているという事が書いてあります。そうすると、先程の黒野家の家譜のお話は何らかの記憶を元に話が作られたという事は間違いないです。
 先程の話の中で荻原は海辺の村だという事はお解りですか?では本当に702年の頃に荻原の辺りは海沿いの漁村だったのか?という事ですが、これは僕が35年程前に吉良町中1週間かけて歩いて調べました。専門は考古学ですので土器を見る事は多少出来ます。吉良中学校辺りから北の方は古墳時代の土器が落ちています。ところがそれより南の方は絶対落ちていない。要するに古墳時代の海岸線は吉良中学校辺りだったという事がいえます。では奈良時代の土器はどの辺り迄拾えるか?と見ていくと、現在の饗庭、荻原、富田、天神。ここを結んだ線の北の方は拾えますがそれよりも南の方は拾えない。という事は先程の場面設定の荻原が海岸線であったという事は無理な話ではありません。ある程度真実を突いているという事が言えます。では持統上皇の様な人が来るのかという事ですが、権力争いの中で三河や尾張、美濃の豪族に忠誠を尽くす様ふれて回った事が続日本紀に記されています。その持統上皇の従者の中の1人に歌人の高市連黒人(たけちのむらじくろひと)がいました。万葉集に十八の歌がありますがその中に「四極山(しはすやま) 打ち越え見れば 笠縫の 島漕ぎ隠るる棚無し小舟」という歌があります。この四極山は現在でもあります。津平小学校の校舎の道を挟んだ南側の山が四極山です。その山の峠を越えて遠くを見ると笠縫の島の陰に棚のない小舟が見え隠れしているというよという歌です。
 奈良時代は三河に7つの郡がありました。この辺り一帯を納める役所が幡豆にありました。高市連黒人は持統上皇の命を受けて四極山を乗り越えて幡豆の方へ行こうとしたのではないかと僕は考えます。現在の西幡豆から寺部にかけて郡の役所があったのではないかと思われます。三河国幡豆郡には8つの村がありました。その一つの礒泊(しはと)、津平の四極山、津平小学校のすぐ東側に志葉都神社があります。そこには志葉都社という社もあります。そうやってみて見ると荻原の話も礒泊の郷の物語にまとめられた話になります。
 今日は三河の国の幡豆郡の礒泊(しはと)の郷、その中にあったであろう荻原の一つのロマンのお話をさせて頂きました。

四極(しはと)の里ロマン

今回の地元の歴史のお話をしていただきました。、奈良時代の天皇の権力争いのために各地を巡って勢力を広げたという。
その時代の国府が幡豆に有り、その地が四極または磯泊(どちらも”しはと”と読む)といい吉良の津平あたりであったという。
私の幡豆の母校の校歌に「しはとの里の...」とあるが50数年経って初めて意味がわかった。なかなか興味深いお話でした。

情報委員長会議報告を身振り手振りで報告するのは磯貝総一郎クラブ奉仕委員長 同好会助成金授与された、合唱・写真・地理研・俳句・炉端・お城研・麻雀の各代表者

詳細はホームページをご覧下さい。 [http://kirara-rc.jp/kaihou.php]