第1095回 「吉良塩作り」

開催日時 2014年8月22日 (金曜日)12:30~13:30
開催場所 西尾信用金庫中央支店2階
合唱曲 それでこそロータリー
卓話者颯田 洪(ひろし)氏(西尾塩田復元整備委員長)
お客様
司会進行岩瀬清彦会場環境委員長

会長挨拶

 暦の上では立秋を過ぎましたが、広島での土砂災害で39名がお亡くなりになり51名の方が不明とのこと被害に会われた方々のご冥福をお祈りしたいと思います、この頃、ゲリラ豪雨、温暖化等の自然災害が近年多発しております。この原因としては人類の自然破壊よる警鐘と思います、今日も未だに暑い日が続いております、体調には充分気を付けて下さい。

 それでは、ゲスト及びビジターを紹介します。ゲストは颯田洪(さった ひろし)様です。昭和30年~40年頃までは今の吉良高校周辺で「塩作り」の設備が有ったと記憶しておりますが今日は「吉良の塩作り」のテーマで卓話をお願いしておりますよろしくお願いします。

 私は、夏休みを利用して夫婦で8/9~12日まで立山アルペンルート周辺を旅行して参りました1日目は軽井沢周辺、2日目は戸隠神社、善光寺3日目は立山、アルペンルートの縦断 4日目は黒部峡谷のトロッコ電車で欅平(ケヤキダイラ)へ行くルートを6月より計画していましたがあとは天候のみ心配しておりました。 通年は夏の天候が安定する時期で夏山の景色もバッチリ見えるだろうと期待して旅行計画をしておりましたが8月に入り台風11号、12号と立て続けに発生し、この天候不順を心配しておりました。

 8/9日の当日は曇りで出発しましたが途中から雨となり4日間共「曇りのち雨」の天候でした私が一番見たかった「室堂」は雨で視界が100Mほどで景色は全然見えなかった。しかしながら「戸隠そば」「室堂のカレー」や行く先々での郷土料理を食べ歩き、戸隠神社の奥社の参詣で1時間30分かけてお参りしました
印象に残った何も無く夫婦で4日間約1200Kmをドライブしたことかな、皆さんに今回旅行のお土産話をしたいと思っておりましたが台風11号の影響で雨又雨で景色も天候不順のため何も見えずお話することが出来ません、もう一度チャレンジしたいと思っております。

出席報告
会員総数 出席免除者 本日の出席会員数 MU数 本日の出席率(%) 修正出席率(%)
58 29 45   83.33  

スマイル委員会報告

【後藤利之会長】
 颯田様ようこそKIRARAへ、子供の頃は白浜地区に塩田設備が有りました、時代の流れで今はありませんが「塩田復興委員長」として、今後の塩田塩作りに期待しております。

【鈴木善和幹事】
 1.父は吉良町の富好生まれで若い時、吉良の塩田でアルバイトをしていたと聞かされた記憶があります。
颯田様、本日の卓話興味深く拝聴させて頂きます、宜しくお願いします。
 2.先回の例会海外出張でお休み頂き無事帰国しました。

【山本裕允プログラム委員長】
 1.颯田ひろし様、ようこそKIRARAへ吉良の塩田のお話しよろしくお願い致します。今後もご指導お願いします。
 2.いよいよ来週から吉良のハワイアンが始まります、プログラムが出来ましたので各テーブルに置いておきました「欲しい方は山本迄」期間中は是非吉良ワイキキビーチに遊びに来て下さい。

【杉浦加代君】
 久しぶりに皆様の顔を見せて頂きホットしています。まだ本調子ではありませんが、元気だけがとりえの杉浦が少し細くなって戻ってきました、よろしくお願いします。

【加納 隆君】
 颯田洪様いつも大変お世話になります、今日の卓話楽しみにしています。今後の御活躍をお祈りしています。

【杉浦義利君】
 8月16日駅前広場にて開催されました、ダンスイベントに沢山の会員の皆様にご支援頂きましてありがとうございます、お陰様で大盛況にて終了する事できました。

【鈴木正司君】
 颯田様、お元気そうで何よりです、今日のお話し楽しみにしています。

【太田五九郎君】
 いつも吉良町の為に頑張っている颯田さん、ようこそKIRARAへ同じ吉良町の住民としてとても心強く思っています。今日は西尾市塩田作りの話を「SALT、ソルット、サラット」お願いします。

卓話

 『吉良塩作り』 (西尾塩田復元整備委員長 颯田 洪(ひろし) 氏)


西尾市吉良町からようこそKIRARAへ

喜んで参加する子供たちが、塩田による塩作りを体験

「忠臣蔵」塩田因説をめぐるお話を熱く語る颯田洪氏
 昨年尾崎士郎没後50周年の記念事業を行いました。皆さんにも御協力を頂きまして今年の2月迄色々な行事を行い、大成功の内に終わりました。その時の御協力に対し厚く御礼を申し上げます。

 吉良町の塩田は江戸時代中期に吉良町本浜に塩田が出来ました。元禄7年に白浜、今の吉良高の近所に塩田が出来たという話があります。江戸末期になり開拓事業が盛んになり色々な所に塩田が出来る様になりました。入浜式塩田と言い海水が満潮になると自然に塩田に海水が入る様になり引いた時に砂を撒いて海水をこすという方法です。明治22年の高潮で全滅をしました。それが復活をし昭和28年の13号台風でまた全滅をしてしまいました。その後流下式という方法に変わってきました。昭和48年で国の施策で中止になりました。

 その入浜式塩田は香川県坂出市、兵庫県赤穂市、山口県防府市に塩田公園があります。そこでは参加者が非常に多くいるという事を聞き、吉良町でも塩田公園を作ろう。大きくして観光に利用していこう。学校の授業でも利用していきたいという事で旧吉良町の方から話があり整備委員会が発足をしました。吉良町の時は宝くじの資金を元に1億数千万の予算で計画を立てておりました。その後西尾市と合併をしましたので、17万都市になるならそれに見合う公園を作ったらどうかと提言をしました。昨年6月に原案が出来ました。

 新しい塩作りの場を作って学習に観光にいかせれる物を作ろうじゃないかと今、計画案が出来ております。今年中に整備され、来年着工・完成という運びになります。現在小さな塩田で毎年夏休みの毎週土曜日に塩作り講座を吉良町の頃からやっております。吉良町の頃は正直参加者が少なかったのですが、3年前位から参加者が多くなりました。先日の雨の時は中止にしたのですが、4組程おみえになりどうしても子供に体験させてあげたいと言われ、雨の時でも体験が出来る様な工夫が必要だと感じました。

 三河湾の海水は塩分が3~4%です。まず砂を撒き、そこにジョロで150・位海水を蒔きます。日光のあたりが良くなる様にマンガでならし線を入れていきます。2時間後その砂を集め四角の箱の中に入れます。そして海水を100~120・位かけます。すると下から10~12%の濃い海水がポツポツと出てきます。かつて塩田の頃は15~20%まで海水の濃度が上がったという事です。現在は時間的な事もあり前日のかん水を使ってガスで煮ます。11時頃から煮て1時半位には出来るのでそれを皆さんに持っていってもらっていますが、非常に子供が喜びます。

 江戸時代入浜式塩田で出来た塩は一般的に言われるのは平坂港から矢作川を上り岡崎へ行き、岡崎から足助迄陸を通り塩問屋へ集められます。三河湾一帯においては西尾市、碧南、高浜、武豊、東浦に塩田があったのでそれが集められていたと思われます。旧吉田、一色で出来た塩を饗庭塩と言います。この塩は非常に物が良かったという事で、岡崎の八丁味噌にも使われていたそうです。にがりが少なく良質だという事で矢作川の環境が良かったのではないかと思われます。その様な貴重な塩が出来る塩田を復活し学習や観光役立てる様にしていきたいと思っております。

 昔は塩田1反の収入が水田の10倍であったという事です。専売公社になった為に月に3回現金が入ったそうで、資金的にも良かったという事です。現在吉良高では作ったかん水を自分達で煮て塩を作り1週間程寝かせてから学校の実習等や商品開発に使っているそうです。新しい塩田公園は民俗資料館で塩を焼く予定です。皆さんに持っていってもらう様にしたいと思っております。今の体験は半日コースですが、1時間コースという物も作ってみたらどうかと考えております。保存会のメンバー十数人が手分けをしてなんとか来年度中に完成する塩田を見たい。もう1つ規模の大きな物にし、子供達の学習の糧にしてもらい、観光で利用し生かしていきたい。そして民俗資料館を活用してもらいたいと思っております。

会員3分卓話「私の履歴書」

 私は昭和23年1月20日に西尾市熊味町の南の端で生まれました。当時親父は42歳、お袋は40歳で8人兄弟の末っ子でした。残念ながら私が生まれた時は二人の兄が亡くなっており、私が4歳の時一番上の姉が病気で亡くなっております。現在5人の兄弟でそれなりに仲良くしております。

 本来親父の家業の材木屋を兄が継ぐはずでしたので、私は名古屋の方で6年間、木材問屋へ勤めていました。その当時の木材業界は人海戦術でして、社員80名程の会社でしたが現場では全部手作業で、大きな木材を担いで車に乗せたり、降ろしたりする作業ばかりでした。

 朝は5時から夜は11時頃迄全国から集まってくる荷物を、フォークリフトが無い時代でしたので全員で降ろし、整理整頓するという作業に明け暮れておりました。

 そんな仕事が半分は嫌になって親父に家に帰って兄貴の手伝いをすると言った所、すぐ帰って来いと言うのでおかしいなと思っていたら兄貴が家業を継がないと言っていた様で、私が今の仕事をやることになりました。それが私が24歳の時でした。嫁さんをもらったのが28歳の12月末でした。翌年1月3日に親父から会社を全面的に任されてしまいました。

 28歳の若造が親父の年代に近い人達をまとめていく事に非常に苦労をし、また温かい社員の方達の私に対する見守りがありました。なんとかこの商売を続けてやってこれた事が私の長い時間の歩んできた道です。もう1つ皆さんに御心配をかけております。この2年間私の体の中で育んできた物がいよいよ暴れ出しまして27日に更生病院ではがす事にしました。ちょっと頑張ってきますのでよろしくお願い致します。

出席報告は髪型と笑顔のステキな義利君の「履歴書」です。 今日の3分スピーチは5分でも足りない「♪チーン♪」 最後に8/27厚生病院で入院しますが「見舞いは来ないで」

<各同好会報告>

ろばた同好会に助成金贈呈「全部のまないように?」 炉端会の案内は野口君「旨いお酒、持って来てねェ~」 久々の出席、ゴルフ部長高須光君「コンペに参加してネ!」 

<各委員会報告>

杉浦出席委員長、久々の出席チョット元気ないかな~? 日に焼けた杉浦加代君、いつも可愛らしいスマイル報告 鈴木幹事の心使いで幹事報告を短縮「3分卓話を5分に」
榊原社会奉仕委員長、「キララ賞」候補者募集のご案内 伊藤研修委員長、地区内クラブ研修情報委員長会議報告 中根クラブ奉仕委員長、交通安全教室RCデーの案内

詳細はホームページをご覧下さい。 [http://kirara-rc.jp/kaihou.php]