第1109回 「クラブ年次総会」

開催日時 2014年12月5日(金)
開催場所 西尾信用金庫中央支店2階
合唱曲 奉仕の理想
卓話者次年度役員・理事
お客様
司会進行杉浦正昭君

会長挨拶

 師走になったら急に寒くなってきました。皆さん、体調に十分注意して今年2014年を過ごして頂けたらと思っております。

 今日のニュースを見ておりましたら、円ドル相場が120円という、円安が一段と鮮明になって参りました。私がタイに行った1週間前の10月下旬は、日銀の追加的量的緩和政策で、非常に旅行先でお金が無くなるという形がありましたが、円安によって輸出産業の企業は非常に利益を上げると思いますが、一方で我々日本は原材料を輸入して加工し輸出をするのですが、その原材料や国民の食料が高騰していくというデメリットな円安になってきていると思います。今の状態で120円が適正かどうか解りませんが、ある程度の円安で推移していったら良いかなと思っております。

 12月2日に衆議院議員選挙の公示がありました。14日に選挙となっております。今回の選挙は大義名分が無いと言っているメディアもありますが、やはり安倍政権が推進するアベノミクスの是非を問う選挙だと思います。集団的自衛権や政治と金の問題等の諸問題があります。そういう問題を国民一人一人が真剣に考えて1票を投じて頂けたらなと思っております。総選挙によって国民の意思が反映されますので、棄権をする事なく投票に行って頂きたいと思っています。

出席報告
会員総数 出席免除者 本日の出席会員数 MU数 本日の出席率(%) 修正出席率(%)
58 31 43   87.75  

スマイル委員会報告

【後藤利之会長】
 今日は、年次総会です。会員の皆様よろしくお願いします。また8cゴルフ大会参加の
        皆様ご苦労様でした。

【鈴木善和幹事】
 今日のクラブフォーラムで、次年度正式に決まります。もう終わった気分です。
        後は、気楽にやります。

【青山弦八君】 
 西尾kiraraロータリーのみなさんお久ぶりです。何とか生きて帰ってきました。
        また今日からよろしくお願いします。

卓話

<クラブ年次総会>(2015~2016 次年度 役員・理事)


年次総会の司会進行をする鈴木幹事

次年度の役員・理事さんです。「宜しくお願いします。」

総会の議長を務める後藤会長
   ≪西尾KIRARAロータリークラブ≫

  2015~2016年度 役員・理事のご案内

【役 員】 会    長      磯貝総一郎

      会長エレクト      中根 勝美

      副  会 長      酒井  進
      (兼クラブ奉仕委員長)
      直 前 会長      後藤 利之

      幹    事      三浦 隆司

      会    計      吉崎 和浩

      S A A       小林  豊

【理 事】 副  幹  事     細川 和好

      職業奉仕 委員長    石川 勝雄

      社会奉仕 委員長    岩瀬  一
      (兼環境保全委員長)
      国際奉仕 委員長    榊原  章

      青少年奉仕委員長    杉浦 加代

      プログラム委員長    加納  隆
 
      25周年実行委員長    辻村 義之

    ※以上の皆さんです。宜しくお願いします。

各委員会報告

出席報告する。里野君 スマイル報告する酒井君 会員誕生日で記念写真「今年で何歳になったかなァ~」
結婚記念日で記念写真、市川君と榊原君 新年移動例会「すず岡と安城芸者です!」大高委員長 8Cゴルフコンペで「スコア73」ベスグロの榊原君

会員3分卓話 「私の履歴書」

 履歴というよりは生い立ちという事でお話します。私は1944年8月8日、満州で生まれました。

 昔は満州事変で日本が満州という国を侵略し、満州国という国に建国してしまいました。日本の軍隊がそちらで開拓をし、満州へ行けば儲かるという話が日本中で流れ、それで沢山の方が満州へ渡りました。ご多分に漏れず私の父、日本で役所努めをしておりましたので満州へ行って軍人関係の病院の事務をやる為に満州へ行きました。

 先に単身赴任で行き、2~3年してから母が後を追って行きました。母が行ったら、向こうに身の回りの世話をしてくれる女性がいたそうです。本当のお手伝いさんで満人の方が日本人を見ると親切に身の回りの世話をしてくれるそうです。今の様な感情の時代ではなく、日本人に対して優しく親切な人達が多かったと聞いております。

 私には2つ上の兄がいまして満州で生まれたと思うのですが、2歳の時に、当時は非常に不衛生だった為、病気で亡くなったと聞いております。その1週間後に私が生まれたのですが、落胆しておった母が、満人の人達に色々元気づけてもらったそうです。

 私が生まれて半年後に日本へ引き上げたそうです。その間の話も、父が軍人関係の仕事をしておりましたから、引き上げするのにもロシア軍が責めて来て満州が混乱の時期があったのですが、引き上げの人達も大変な苦労をしたそうです。

 中国残留日本人孤児という方も沢山いらっしゃいまして、多分引き上げが遅れたら、私もその中の1人になっておったのではないかなという気がしております。やはり軍関係の仕事をしておりましたから、情報を早く頂け、半年早めに日本へ引き上げてしまったという事です。早く引き上げたといっても、満州から朝鮮半島を縦断して釜山迄列車で移動する訳ですから、その苦労は並大抵ではなかったと思います。

 そして釜山から船で九州へ帰ってきたという話を聞いております。よくも無事に帰ってこれたなと思い、本当に母に感謝をしております。母は汽車で釜山迄来たのですが、父はその前に軍隊と一緒に日本へ来ていたそうです。これは秘密だという事もあった様です。

 そんな時代もあったんだなと感じます。無事に日本へ帰ってきて、幼少時代は終戦後ですから非常に平和な時代を過ごしました。私は近所の子供達が集まってソフトボールをする時でも、ボールを受ける事や打つ事が上手だった様で誉められた事が多かったです。それがきっかけで、小学校4年生からソフトボール部に入り、先輩達を追い越し選手に選ばれたりし、どんどん野球に熱を入れていきました。

 中学校ではピッチャーで頑張っておりましたが、勉強の方がおろそかになり、進学も勉強では難しく野球で進むという義務感に変わりました。豊川の国府高校へ進学をしました。そこでも野球を一生懸命やりまして、大学も半特待生、授業料半額という形で中京大へ入り野球をやってきました。

 今思うと、人生の大半は野球人生だったなと思い出しております。野球が終り、家業が鉄工所をやっておりましたので、鉄工所の修行で東京へ1年半、大阪へ1年半生活をし、サラリーマン生活をしておりました。これが今に取っては非常に良い経験になっておりまして、その事が元になって現在があるかなと気がしております。

弁当を食べて、ゴキゲンでピースする犬塚万弘君 「生まれて半年満州にいました」日本人で良かった! 「まだ幼少期の話しかしてませんが・・」時間がない!!

例会30分前

病気も完治して、仲間から声を掛けられる青山弦八君です。 今日も、美味しかった松寿司弁当です。 「こんな美味しい弁当、久しぶりで嬉しくて目が無い?」
「行こうよゥ~ダメェ~ダメェ~」お城研究会の秋山君 加代さんとツーショット!お似合いですか・・? 丸目君、何見てるんですか?「早く弁当食べないと~」

詳細はホームページをご覧下さい。 [http://kirara-rc.jp/kaihou.php]