第1129回 会員卓話「私の履歴書」パートII

開催日時 2015年5月15日(金)
開催場所 西尾信用金庫中央支店2階
合唱曲 我等の生業
卓話者太高純治君、大山勝男君、岡田義雄君、山本裕充君
お客様
司会進行杉浦正昭君

会長挨拶

 台風一過暑い日が続いております。急に暑くなって来ましたので体調維持が難しい時期となり「熱中対策」が必要となってきます。疲れは早めにとるように・睡眠は十分に栄養バランスのとれた食事を!水分を補給しましょう。それでは今日のゲスト及びビジターの紹介をします。今週も「私の履歴書」パート2で大高純治君、大山勝男君、岡田義雄君、山本裕充君の4名です。よろしくお願いします。

 今日は、健康寿命についてお話したいと思います。介護を受けたり病気で寝たきりになったりせず自立して健康に生活できる期間を示すのが「健康寿命」です、平均寿命と健康寿命との差は男性で9.13歳、女性で12.68歳で有りその差が何らかの介護が必要となってきます。

 2013年のわが国の健康寿命は、男性が71.19歳、女性が74.21歳に伸び 都道府県別で健康寿命が最も長いのは、男性が愛知県で71・74歳、女性が静岡県で75・32歳。健康上の問題がなく日常生活を普通に送れる状態を指す人間が自立して人間らしい生活を送れるという意味で平均寿命ではなく健康寿命の延伸にあると考える。いくら平均寿命が伸びても晩年は寝たきりという社会を私たちは望んでいません。老化を遅らせ高齢期の健康を高めるには体育、食育、知育、環境の4つが必要です。

 生涯体育 適切な休養、栄養、コミュニケーション、 免疫力を高め老いの受容社会参加、生涯学習、環境などを充実させストレスを掛けない生活が健康寿命を延ばす方法です。皆さんも健康寿命を少しでも延ばして行きましょう。

出席報告
会員総数 出席免除者 本日の出席会員数 MU数 本日の出席率(%) 修正出席率(%)
58 24 39   76.47  

スマイル委員会報告

[後藤利之会長]
今日は「私の履歴書」の卓話楽しみにしております。明日長野県の善光寺へ行き御開帳の阿弥陀如来様におすがりして、日々の煩悩を振り払い、身を清めて参ります。

[鈴木善和幹事]
今日の例会もメンバーの卓話です。楽しみです。

[磯貝総一郎君]
地区研修協議会に行ってきました。初めて最後まで参加してきました。

[大山勝男君]
妻の誕生日に素敵なバラ頂きました。それも妻の好む色に気を配って頂いて有難うございました。

[野口要一君]
先日母の日に鈴木幹事さんから、カーネション頂きました。早速仏壇に供えました。いつも有難うございます。

[榊原 章君]
当社三河機工の展示会「見に機てください」を開催します。当社の展示会は、一般の方が多数見えます。時間のある方は是非お立ち寄りください。

例会30分前の様子

野口要二君と吉崎和浩君 中根君と後藤会長と鈴木幹事「次年度の打合せ?」 煮物、焼き物、揚げ物、とお刺身、デザート「ウメ~」
会長、幹事「弁当が旨すぎてマイッタ!」 商工会議所杉田会頭「忙しい合間に例会に出席ご苦労様」 左から司会者杉浦君、SAAの岡田君、後藤会長余裕です。

その他の委員会報告

幹事報告:鈴木幹事 出席報告:鈴木正司委員 スマイル報告:酒井委員長
写真同好会:太高純治部員 大相撲名古屋場所の案内 大須賀慶一君 写真コンテスト参加賞授与 長谷、大山、野口君です。
15-16年度の為の地区研修・協議会報告の三浦副幹事

会員卓話 「私の履歴書」 太高純治君

 生まれも育ちも西尾、生粋の西尾っ子で、昭和23年3月2日、団塊の世代の真っただ中です。団塊の世代というのは非常に厳しく、常に競争がつきまといます。最初にそれを感じたのは高校受験、次に社会へ出た時、会社へ入社した時と、常に競争、競争でここ迄来ました。それにも負けずここ迄やって来れたというのが実感です。

 今自動車屋をしておりますが、なぜ自動車屋をしたのかと良く聞かれます。・・とにかく小さい頃から車が好きで、小学校6年生の卒業文集で既に自動車関係の仕事に就きたいと書いており、初志貫徹したと思っております。

 なぜ車が好きになったのかと言うと、小学校の頃、家にオート三輪があり、親父に乗せてもらってからとても好きになりました。小学校5~6年生の頃にはオートバイを無免許で乗っていました。中学3年生になりトラックが家にあり、それも無免許でよく乗りました。

 西野町小学校、鶴城中、碧南高校、名鉄自動車整備学校と進み就職しました。最初は自動車の整備の方へ就職する予定だったのですが、機械相手より人相手の方が面白いかなと思い営業の方へ進みました。しかし営業になってからが大変で、ひと月に何台か売らないと給料がもらえない、どうしたら売れるのだろうかとなりました。

 上司から色々指示があり、とにかく大勢の人と会わないといけないと言われました。毎日、毎日名刺とカタログを片手に飛び込み訪問をしました。一番酷い時は足に豆が出来てしまった時もありました。相手に自分を売り込むには、相手に利益になる事、相手に良い事をしてあげる。そうすると僕を覚えてくれて最後には車を買ってもらえるという事を実践しました。

 色々な情報を持って行ったり、その人の商売の手伝いをしたり等、とにかくお客様に利益が出る様な事を考えました。そうして1998年にはトヨタ自動車から2,000台表彰を頂きました。54歳の時に独立をし、13年が過ぎました。独立した当初は最低でも10年はやらないといけないと思っていましたが、10年はあっという間に過ぎ、次の目標が見つからなくて1年位モヤモヤしていました。出した答えは生涯現役、これを目標にしました。

 やれる限り仕事はやるという事を決めたら気持ちが落ち着き楽になりました。そんな折に昨年、稲盛和夫の生き方という本を読みました。100万部を超すベストセラーですが、中国でも非常に売れておるそうです。

 稲盛さんの名言で「利他の心」と書いておられます。こらは自分の考える事と同じだと思い、この本を読んで、自分が今迄やって来た事に対し間違っていなかったなと改めて自信を持ちました。


「私の履歴書」 大山勝男君

私は3年前、満70歳になった時に卓話をして、私のルーツを全部明かしましたので、今日はある本に書いてあった記事を、皆さんの生涯にはまるか解りませんがご紹介をしてみたいと思います。

 今、日本のスーパーゼネコンは清水建設、大林組、鹿島建設、大成建設、竹中工務店とありますが、その中の鹿島建設で土木事業に生涯を捧げた元副社長渡辺喜三郎氏。昭和40年に亡くなっておられますが、その方について書かれた鹿島の大番頭という本の中に、鹿島建設の元祖である元社長鹿島守之助の事業の成功の秘訣二十カ条が載っておりましたので、皆さんの生涯に参考になるか解りませんがご紹介をしてみたいと思います。

一、「従来の方法が一番良い」といういう考えを捨てよ
二、絶えず改良を試みよ、「できない」と言わずにやってみよ
三、有能な指導者をつくれ
四、人をつくらぬ事業は亡ぶ
五、「どうなるか」を研究せよ
六、本を読む時間をもて
七、給料は高くせよ
八、よく働かせる人たれ
九、賞罰を明かにせよ
十、なるべく機械を使うこと
十一、部下の協力一致を計れ
十二、事業は大きさよりも釣合が肝心
十三、何よりもまず計画
十四、新しい考え、新しい方法の採用を怠るな
十五、一人よがりはことを損ず
十六、イエスマンに取り巻かれるなかれ
十七、欠陥は改良せよ
十八、人をうらまず突進せよ
十九、ムダを見つける目を開け
二十、仕事を道楽とせよ

今から半世紀以上前の守之助の哲学が21世紀なっても通用するのではないだろうかと思っております。


「私の履歴書」岡田義雄君

 私は団塊の世代、昭和24年生まれ、65歳になります。この65年の間にターニングポイントというのは多々ありました。その中の一番のターニングポイントは、大学を出て就職をする時でした。

 家は祖父の代から三河帯芯の地場産業を商っておりました。私で三代目になりますが、実は、家の仕事が嫌で嫌でしょうがなかったです。後を継ぐ、規正のレールの上に乗る事は自分にとってポリシーに合わないと思っていました。

 しかし大学を卒業していよいよ社会へ出るという時に、歴史が好きだったので歴史学者になろうと思っていましたが、それでは飯が食えないので何になろうかなと思っていました。

 今のJ.フロントリテイリングという松坂屋と合併をし、活発にやっていらっしゃる大丸で大学の1年から4年の長い休みにアルバイトをしていました。デパートは女性社員がもの凄く多くて4年間頑張ってバイトをしました。それなりに成績も残していまして、大丸の偉い人から将来うちに来ないかと誘いも頂いていたのですが、当時は学閥というのがあり、私は東洋大学で今でこそ箱根駅伝で有名ですが、当時は三流大学でしたので諦めて、流通業界でもスーパー業界のニチイに勝手に試験を受けに行き合格をしました。

 静岡の沼津店に配属になっており、今迄親父に内緒だったので行かせて欲しいと頼み込んだら、当然のごとく大反対でした。親父は商売に関係した京都の帯屋、西陣に帯の小さな問屋があるのですがそこへ行けという事を言いました。またお袋が隣で泣いているんです。本当に迷いましたが結局親父の言う事に負け、3年間京都で丁稚奉公をやって参りました。

 そのお陰でこうして地元で商売がやれて、ロータリーに入らせて頂き、皆さんと御一緒にこうして楽しい時間を過ごさせて頂く機会が得られた事を嬉しく思っております。

 もう1つ、たまに女房に言われるのですが、ニチイに行っていれば私と知り合う事はなかったし、一緒にならんですんだので良かったよねなんて嫌みを言われます。ニチイも随分前に潰れてしまいました。ニチイに行っていたら、こうして皆さんとお会いする事も出来なく、寂しい生活をしていたかなと思います。


「私の履歴書」山本裕充君

私は昭和35年、1960年生まれ、55歳です。ロータリーに入り、毎年若いね、若いねと言われ、15周年の年が入会した年で、それからみんな年を取っていますので、自分は永遠に若いと言い続けられながら一緒に年を取って行くのかなと思っております。

 私の生まれた時代はまさしく高度成長時代で、皆様方みたいな苦労話が全く出来ません。生まれた時から何かしら景気が良い時代で、野球は巨人のV9時代、プロレスは猪木と馬場時代、相撲は大鵬時代でした。実家は平坂で鋳物屋の次男坊、親父の背中を見ながら将来俺もやるのかなと思いながら旅館をやっております。

 平坂小学校へ入り、剣道部へ入部しました。小学校4年生の時に個人の大会で優勝しておりまして、もしかしたら才能あるかなと思っていたのですが、5年生の時に準優勝をしたのを最後に年々勝てなくなりました。平坂中学校へ進学した当時の剣道部は栄光の時代で、2学年上の人から全国制覇という剣道部の中にいましたが、何故か私の年代は予選落ちという結果になっていました。

 特に吉良中に負けたのが凄いショックで、その時に先生にもの凄く起こられた記憶があります。高校は星ヶ丘にある愛知高校へ行きました。クラブは当然剣道部と思い入部したのですが、何故か練習をすると突きしかやらせてもらえなかったり、家に帰るととても遅くなってしまうという事もあり、このまま剣道で汗臭いのは嫌だなと思っていたので部活をやめてしまいました。

 駅前や栄を闊歩する帰宅部となりました。大学は真反対の女の子にもてる様なスポーツをしようと思っており、冬はスキー、夏はテニスという同好会に入りました。スキーのバスツアーが流行っていた頃でしたので、学生ツアーをやりました。街角に立ち高校生や女子大生に声を掛け、チラシを配って参加者を募り、バスの添乗員とスキーコーチをしていました。

 女の子達とバスに乗り、バスの中は添乗員という特殊扱い、ゲレンデに行けばコーチという特殊扱い、夜は飲みに連れて行ってと声を掛けられたりと・・、人生で一回戻っていいよと言われたら、この頃に戻りたいと思っています。そういう事で学生時代を謳歌していました。

 いよいよ就職という時、何故か就職活動をしませんでした。自分の中で鋳造業かなと思っていました。最初に就職をしたのが幡豆工業の鋳造部で3年間おりました。その時もスキーに行っておりました。その後ご縁があって今の会社に入った訳です。またそれが縁でこのロータリークラブに入れた訳です。

 先程の話に戻りますが、入った時から一番若いね、若いね、年下だねと、10年、20年経っても、きっと70歳になっても80歳過ぎの人から言われるのかなと思いながら行きたいと思います。またこれからも色々とご指導をお願い致します。


詳細はホームページをご覧下さい。 [http://kirara-rc.jp/kaihou.php]