第1251回 通常例会「会員卓話」

開催日時 平成30年2月9日 金曜日
開催場所 西尾信用金庫中央支店2階
合唱曲 我等の生業
卓話者久恒治人君
お客様
司会進行杉浦正昭君

会長挨拶

82歳のプログラーマー、最近話題になっていますのでご存知の方が多いとは思いますが、ザーと紹介させて頂きます。女性の方です。60歳まで銀行に勤務、勤務をする中では、PCに触れる機会はなかった。退職と同時に親の介護に従事、世の中との接点を無くした危機感よりパソコン通信を始める。以降インターネットの普及、進歩の中で、自分達の年齢にあったゲームアプリの無いことの不便さより、80歳からプログラム言語を独学、老人向けゲームソフトを81歳の時に開発、このソフトがヒット。一躍有名となり現在では、政府の「人生100年時代 構想会議」の有識者議員として活躍中。

 この話しをニュースで耳にし、幾つかのことを感じましたので、感想をお話しさせて頂こうと思います。この人は確かに素晴らしい方だと思います。ただ、残念ながら、誰でもがまねのできる話しではない事も事実です。我々の同年代、10歳程若い訳ですが、恐らく、半数はPCを扱わない生活をしていると思います。今となっては、出来れば良いとは思いつつ、ハードルが高過ぎると感じていると思います。その意味でこの人は素晴らしいし、ニュースになっていると思います。ゴルフでも80歳代で、エージシュートを達成した人の話しはチョクチョク聞きます、ニュースまでにはなっていないことから、相当数の方がみえると思います。私もやってみたいという願望は持っていますが、それを達成せんが為の努力はしていません。自分で、自分の限界を引いているような感じがします。

「人生100年時代」平均寿命は、80歳を超えています。残念ながら、若くして亡くなる方がみえます、乱暴な言い方ですが、100歳を超える人が60歳に届かず亡くなる人と同数でないと、平均寿命の80歳は成り立たないとおもいます。運動能力は衰えるとは思いますが、脳に関する部分は衰えない、というよりも、まだ一部しか使ってないし、脳細胞は生まれ変わっているようです。私も定期的に脳ドックを受けています。医者に若いころの脳のデーターと現在の脳の状態を比較して説明を受けます。脳は確かに縮んでいますし、白い小さな点も多くなっています。この白い点は脳梗塞の後だそうです。脳は使えば使うほど、新たな回路を作り出していくようです、少なくとも、思い出せない固有名詞はなんとしても思い出すようにしましょう、自分に限界を作らないようにしましょう、年齢にそぐわないことをしましょう。
82歳のプログラマーのニュースに触れて感じた事をお話ししました。

出席報告
会員総数 出席免除者 本日の出席会員数 MU数 本日の出席率(%) 修正出席率(%)
54 29 41   87.2  

スマイル委員会報告

【酒井進会長】
 今日は少しあたたかいですか。三寒四温、少しづつ暖かくなっていきます。

【髙須光幹事】
 本日は経験豊富久恒君のお話し。楽しみにしております。

【久恒治人君】
 今日の卓話は心のおもむくままの漫談になりますが悪しからずと先に申し上げておきます。

卓話

「最近気になる事・心惹かれる事など」(久恒治人君)


最近気になる事

心惹かれる事

久恒治人君
 今日は最初の10分位を使って、三河に帰ってきてから教えて頂いた事を、是非皆さんにお伝えしたい。その後は私が20代の頃から、心惹かれた女性がおります。その女性をめぐって才能豊かな人間がおります。その人達を数十年間、人間ウォッチしておりますが、その二人の女性は秘跡に入られてしまったのですが、ここで私が話す事が皆さんにお伝えしたい物がありますので、ちょっと取り上げたいと思います。

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが高峰譲吉さん。今でも薬局に行けばタカジアスターゼという消化剤が売っています。胃腸の調子の悪い方は常時これを飲まれれば間違いなく効きます。高峰譲吉博士の事ですが、実は私は全く知りませんでした。安城に新日本科学という会社があります。山本さんという方が会社の社長に就任し、瞬く間に立派な会社になりました。その山本さんに教えてもらったのですが、高峰譲吉さんは日本で有名でないのは、アメリカで事業を起こしました。タカミネ・ラボラトリーと言う研究開発型の企業で、優秀な社員を雇い、素晴らしい発見をし、それを特許にして、その特許を売って頑張っておられました。今のお金に換算して彼は2兆円位稼いでいます。一つはアドレナリンです。アドレナリンは高峰博士が見つけました。これが止血剤として役に立つということで導入されました。

 彼が凄いのは、ワシントンのポトマック川沿いの桜が有名ですが、あの桜のお金は高峰譲吉博士が出したものです。1回目に送った苗は自分の故郷の金沢から送っているのですが、その苗が病気になり2回目に送り、今の桜に繋がっているそうです。ポトマック河畔の桜祭りに桜の女王が選ばれますが、トヨタの協力企業の小島プレス工業の奥様が若い時に桜の女王に選ばれています。彼は1922年に亡くなっておりますが、その頃には米国、特にカリフォルニアで日本人排斥。日本人には土地を所有させない等の半日気運が高まる中で、少しでも助けようと、色々と運動をされた方です。特に印象的なものは1904年、日露戦争の最中、当時の日本政府は本当にお金がなく、8%という、とても高い金利の借金をして戦争を戦っていました。そんな中でセントルイスで万国博覧会がありました。政治的判断でこの万国博覧会には出た方が良いという事で参加をしたのですが、日本館に松楓殿という和風の建物を建てたのですが、これを取り壊す金がないという燦々たる状況でした。これも全部高峰博士が引き取り、ニューヨークの北部の方に別荘として移築されました。

 日露戦争の時もロシアが米国の新聞を買収し、ロシアひいきの記事を書くので、高峰博士が逆に自分の金を出し、日本の理解を求めようとしました。金子堅太郎と言う明治の元勲に匹敵するような人が特命全権大使でアメリカに行きます。パーティーを開く金がなく、これも全部高峰博士が出し、そのパーティーを開く事が出来き、何とか頑張れたということでした。最終的には高峰博士の米国における一頭は、最後のお孫さんがお医者さんで生きてみえたのですが、この方は独身で亡くなったので、アメリカには直接の後継者はおられません。妹さんの子孫は今でも金沢に残っており、金沢では高峰博士の顕彰が行われておりますが、日本ではあまり知られておりません。そういう事で高峰博士の事を少しご紹介させて頂きました。

 今からは私が20代の頃から素敵な女性だなと思ってきた方の話です。最初の女性ですが藤圭子です。宇多田ヒカルのお母さんです。もう一人、注目している人は男性ですが、沢木耕太郎というノンフィクションライターです。若い時から注目をしており、彼は横浜国大を出て、私より一年後に就職して、富士銀行入り、4月1日の初日、その日に辞めたという人間です。彼は文筆家、ノンフィクションライターなんですが実は非常な博打打ちでもあります。当時マカオにソ連の船で新潟から行く安い便があったのですが、それに乗ってマカオに行って、ブラックジャックやバカラをやる。そういう意味では博打の世界にも昔から足を踏み入れていたのですが、かといって破滅はしないという優れたリスク感覚を持っていました。

 一方藤圭子ですが、彼女の鮮烈な低音ボイス、聞き様によってはガラガラ声ですが、旭川育ちです。私のような寒がりにとっては北海道の旭川は名前を聞いただけでぞっとするのですが、そこで育ちました。女性というと高音で勝負するのが普通だったのですが、丁度私が大学を卒業する頃、「夢は夜ひらく」の様な低温の素晴らしい歌ばかりだと私は個人的に思っています。裏には作詞家がおり、石坂まさを、本名は澤ノ井龍二、作詞家が誰かこの歌に合う人がいないかと歌手を探すんですね。その中で藤圭子の声ならいけるという事で、藤圭子を売りに出しました。当時は低音はメジャーでなかったので、何回もオーディションに行き、最終的には成功します。

 彼女がデビューをしてちょうど10年位経ったところで、この沢木耕太郎がインタビューをしております。ホテルニューオータニでインタビューをし、インタビューをして、普通なら本を出すのですが出さなかった。実は二人が恋仲になりました。79年暮れから彼女は歌手の足を洗い、ニューヨークへ移っていきます。丁度私、その時ニューヨークにおり、噂を耳にしてニューヨークに藤圭子がいると。これは沢木耕太郎とニューヨークで落ち合うという事で、彼女の方が先行しました。しかし待てど暮らせどこちらには来ない。結果的に藤圭子のもの凄い恋は実らなかったと思っております。彼は魅力ある人物で藤圭子が惚れて当然だと思います。藤圭子にとって、出会った事のない男性で、相当燃え上がったと思います。沢木耕太郎はその頃、深夜特急という世界を徘徊した旅行記が売れ始め、かなり作家としても確立されており、私の目から見ますと、沢木耕太郎の心理を分析すると、彼はその当時家庭があります。二人とも熱くなり、ニューヨークへ行こうとなった迄は良かったのですが、ビビったんだと思います。あまりにも藤圭子が一途なので、私から見るとモテる男はつらいなという風に感じます。彼のノンフィクションを読まれると非常に面白いです。

 彼は映倫な感覚を持っており、ローマの休日、オードリー・ヘップバーンがジャーナリストと情を通じたかどうかという事も論証しています。私も注意深くその映画を見直し、なる程なと思ったのですが、、当時の厳しいハリウッドの倫理基準の中で、出来る限りの限界に挑戦した。分かる人には分かる様にサインを送っています。彼は自分が売れる前から、自分の足音には非常に気をつけており、なかなか本命が出てきません。彼も私以上にヒューマンウォッチングが好きです。もし何か彼の事で皆さんが小耳に挟まれましたら、是非私に本命を教えて下さい。

 藤圭子は2013年8月に新宿のマンションから飛び降り自殺をして亡くなられています。私は今でも、このニュースを聞いた時に大変な衝撃を受けた事を覚えています。その後彼が緊急出版をしております。1979年頃にインタビューした時の本来フィクションとして出す予定だったが、恋仲になったものですから出さなかった。それを緊急出版しており、「流れ星ひとつ」という本を出しております。インタビューを見ても沢木耕太郎の才能が光り、なかなかのノンフィクションライターだと思います。ある人の証言によれば、彼女がニューユークに先行して行った時、彼女がニューヨークで大切にしていた物は、インタビューで本になる予定だった原稿だった。それを持って大切にニューヨークに来ていたという証言があります。私の様な第三者が勝手にこんな話をする事も、藤圭子の供養になるかなと思いますので、改めて素敵な日本女性の一人であったことは間違いないと思います。ちなみに彼女のお母さんは目が見えません。彼女も目が見えなくなるのではないかという恐怖に常におののいていたようです。若い方は是非どこかでお聞き頂ければと思います。ちなみ石坂まさをという作詞家は彼も2013年3月に亡くなっています。8月に藤圭子が亡くなっており、62歳です。

 最後に私が若い時から注目していて、素敵な女性だ思っているのが木谷禮子です。この名前を聞いてピンときた方は碁の好きな方だと思います。木谷實九段の三女です。私は大学4年の時に大学紛争があったので、6ヶ月位暇で同じ数学専攻の学生が木谷實九段の弟子だったので誘われて、当時の四谷の木谷道場に出掛け碁を教えてもらいました。実は禮子さんのホットパンツ姿が実に綺麗だから是非見に行きましょうと誘われ行きました。もの凄く沢山の弟子が住み込んでいて、弟子が常に大きな広場で碁を打ったりしていました。今でもまぶたには木谷禮子ホットパンツ姿が私の20代の思い出として焼き付いております。残念ながら彼女も平成8年に早々と亡くなっております。木谷道場の風景は今でもまぶたに焼き付いており、礼子さんも非常に美しい女性でしたので、思い出深いものがあります。こうやって忍ぶことが故人に対する供養に少しでもなればと思います。

これで私の卓話を終わろうと思います。ご清聴ありがとうございました。

各種報告等

四つのテスト唱和

会長挨拶

幹事報告

出席報告

スマイル発表

鶴城丘高校ジャズオーケストラの案内

炉端会案内

白井君による四つのテスト唱和 酒井会長挨拶 高須幹事報告
大山出席副委員長 西冨スマイル委員
鶴城丘高校ジャズオーケストラ
の案内をする野口君
炉端会の案内(2月19日)です

詳細はホームページをご覧下さい。 [http://kirara-rc.jp/kaihou.php]